これは生徒に聞かれる質問ではありません。
私自身も疑問に思うことで、たまにネットで調べてチラ見する程度です。
そしてネット上でもよく質問されている問題だったので、私の見解を述べてみます。
ぶっちゃけ
どっちでもいいんじゃない?
と思うようになりました。
それぞれメリットデメリットはありますが、無いものを無いと嘆いてもしょうがないので開き直っています。
「ソ」の音は「ソ」以外には聞こえません。
特にそれで不便はありませんでしたし、今更頑張って相対音感を鍛えようとも思っていません。
知人の弦・管楽器奏者の方には
「絶対音感ない」
という方もいます。
大体ピアノで音大くらいまで行く方の場合は幼少期からピアノをやっている場合が殆どですので「絶対音感は皆無」という人は今の所お目にかかったことはありません。
導入期の頃から
「ドレミー」
とか歌いながらピアノを触ることから始めますから、自然と絶対音感は身について行きます。
そしてソルフェージュの一部である「聴音」というものでさらに鍛えていくわけです。
では絶対音感は必要なのか?
と聞かれると、
「あー、あったほうがいいよね?」
という感じです。
なぜこのくらいの反応なのかというと、
「何の音かを聞き分ける」よりも
バランスの取れたハーモニーや、音色の聞き分け(柔らかいとか、硬いとか、鋭いとか、軽いとか、重いとか)、調性の変化を感じるほうが演奏では大切だからです。
聞き分けができないと弾き分けもできません。
ですから正確にいうと、
「あったほうがいいよね?」というより「無いと困るよね?」
という感じです。
絶対音感や相対音感を鍛えてバッチリだとしても、すぐに演奏の良し悪しには繋がりません。ただ、上達してきて曲も大きくなり扱う音の数が膨大に増えると、この力は大いに発揮します。暗譜にも非常に有利に働きます。
幼少期ですと、比較的簡単に身に付く能力ですのでたくさんおうたを歌って身につけていくと良いと思います。
個人差はありますが、和音の聞き取りもできるようになってきます。
絶対音感には個人差があるので、あまり敏感過ぎると耳に入る全ての音がドレミファで聴こえてくる方もいます。鳥の声や生活音なども。それはそれで大変らしいです。
ちなみに私はそこまでではなく、和音も3つまでが限界でしかも
ピアノの音でしかドレミファがわからない
という大変中途半端な音感の持ち主です。
違う楽器や、人の声なんかだと何の音かわからないのです。ピアノの音だけ「ドレミファ」が流れ込んできます。ですがたまにコロラトゥーラソプラノのすんごい上手い人の高音だけはわかったりするときもあるから不思議です。
絶対音感を改めて調べていくと、面白そうな本を発見しました。
どうやら音楽にをやるやらないに関わらず、「絶対音感」を身につけるレッスンをすることで脳が発達するということがわかってきたそうです。
なんだかすごいですね。